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観光する前に浜松エピソードを知っておくと集中できます。

浜松城の堀

浜松市古城の大蛇

浜松市の戦国時代エピソード/浜松市古城の大蛇

城跡がある三ヶ日町都筑の南、今では埋められていて特産品の野菜や果実を栽培 しているあたりには深い堀がいくつもあったといわれています。 この堀には昔全長10メートルオーバーの大蛇が住んでいたそうで、蛇が苦手な 人が聞いたら背筋が寒くなるような言い伝えが残っています。 この話が本当なら当時の目撃談があるはずで、実際に付近の村人が遭遇したと いう逸話もあるようですし信憑性は高そうです。 この大蛇と出会った村人はあまりの長さにたまげてしまい、ビックリして腰が 抜けたそうできっと帰り道は地を這うように匍匐前進で家路についたのでしょう。 帰宅後もそのショックは消えず、一ヶ月うなされる日々が続いたそうでその間 ずっと布団の中で悪夢が再現されたとの話です。 この蛇の正体はなんなのか、野生の蛇が生息していてもおかしくないしただの 発育が良い蛇かもしれませんが、お姫様の生まれ変わり、強い思いを持って命を 落とした姫の化身だという説があります。


徳川家康の進軍

ではそのお姫様は一体何者なのでしょうか。 1568年、愛知県岡崎市出身の徳川家康が浜松城を狙って進軍を開始します。 途中にある佐久城と堀川城を飛ばして浜松城に向かった家康は、城主の飯尾豊前守 が留守の隙を突いて鮮やかな手際で城を乗っ取ります。 戦闘を避けて最小限の被害で城を奪うのですからお見事な作戦ですね。 道順どおりに佐久城・堀川城も攻めていたらこうもあっさり浜松城を落とすことは 出来なかったでしょうし、時間も兵力もかなり消耗したでしょう。 そして今度は残してきたそのふたつの城をなんとかする番です。 家臣の本多平八郎と戸田三郎左衛門に2千の兵を連れて佐久城に向かわせると、 眼前で布陣して城を明け渡すよう迫ります。 城内ではどうしようかと軍議で活発に話し合いがされますが結論が出ないまま 二日が経過し、最終的には徳川軍に城を明け渡すことになりました。


浜名備前守頼近の娘

このとき佐久城の城主浜名備前守頼近にはたいそう可愛らしい18才の娘さんが いましたが、家康軍に従うことを良しとせずプンプン怒ったそうです。 戦ってもいないのに城を明け渡すなんて嫌じゃ、と部屋を飛び出しました。 そして「この城を離れるくらいなら濠に入って大蛇となりこの地の守護者となる」 そう言って水面に向かってダイブしたのです。 つまり抵抗もせずに降伏するくらいなら死んだほうがいい、と自害したわけで、 お姫様に強い気持ちがなければそんな行動は取れなかったはずです。 大蛇になると宣言してその後本当にそれらしき蛇が目撃されるようになった、これは もう有言実行したと考えるしかありません。 人間が意思を持って大蛇に転生するのは科学的には不可能のように思えますが、 目撃談もあるこのような話を聞かされては信じるしかありません。 浜松市の人に聞けばみんな疑っていない伝承話のようですし、科学的には証明不可 な現象もたまには起こるかもしれないですね。