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観光する前に浜松エピソードを知っておくと集中できます。

浜松市の納豆

大福寺の和尚

浜松市の戦国時代エピソード/大福寺の和尚

今から遠い昔の戦国時代のことですが、三ケ日にある大福寺では精進料理が定番 メニューになっており毎日同じようなものを食べていました。 このお寺でなくとも同じですが、坊主はお肉を食べてはいけない、お魚も食べては いけないと決まっているので、今でいうベジタリアンのような食生活を余儀なく されており、昔だといつも似たような食事になっていたのです。 坊主や和尚の中にあまり大きな声で文句を言う人はいませんが、もっとレパートリー があればと思う時間もあったのでしょう、大福寺の和尚は新メニューの開発をしよう と書物を読み研究を重ねます。 同じ野菜メインの食事でも地元以外の食文化を取り入れることで、今まで味わった ことのない食感や風味の料理を創作できるのでは、と考えたのです。 新メニューの開発が簡単ではないことは知っていたでしょうが、それでももっと おいしい精進料理を完成させたいという欲求が勝ったのか、あるいはみんなが調理 しやすい方法を編み出したかったのか、和尚は頑張ったのです。


唐納豆

当時新メニューの開発がどれだけ大変だったのかはよくわかりませんが、大福寺 の和尚はついに納豆という画期的な食べ物を編み出します。 大豆を蒸して麹の力を借りた、ネバネバの魅力がたまらない新食感です。 中国の書物を参考にしたことから唐納豆と名付けると、和尚は大喜びでたくさん 作って毎日たくさん食べました。 そして豊臣秀吉に献上するまでに納豆を育て上げたのです。 唐の付くこれを食べてしまうのは縁起が良いと豊臣秀吉も面白がって唐納豆を 食べていたようで、毎年将軍家に献上するようにと五石三升三合の賜田を受ける までに発展したからなんとも驚きです。 将軍直々に土地を与えるから毎年納豆作って納めよ、そう命令されるほどですから よっぽどお気に召したのでしょう。 初めて食べる外国人はビクビクしながら、の納豆ですがすぐに受け入れてしまう 将軍の器の大きさも驚嘆ものですね。


浜納豆

しばらくは唐納豆と呼ばれていたようですがじきに開発者の名、大福寺納豆とも 呼ばれるようになり、また浜名湖に近いことから浜名納豆の名もありました。 しかし「はまななっとう」では言いにくいので今では浜納豆(はまなっとう)が 定着しており、浜松市以外でも製造されています。 それでも地元産が一番おいしく、お土産で買っていかれる方も多くいます。 休日はお寺巡りをして過ごす友人に聞けばわかりますが、静岡県浜松市の大福寺 に行ってお土産を選ぶなら第一候補は浜納豆、これはもはや常識だそうです。 ちなみにここを訪ねたい人のためにお寺の解説もしますと、三ケ日駅から3キロ ほど北側にあり正確には瑠璃山大福寺といいます。 開基は875年らしいので1,111年以上も経っている由緒正しいお寺です。 あまりお寺には興味が無くても、明日の納豆を切らしている人や苦手な納豆を克服 したいと練習中の人なら一度訪れてみてはいかがでしょうか。