現在三ケ日と呼ばれている土地は最初からその地名だったのではなく、1600年 頃からこう呼ばれるようになったようです。 それ以前は中野郷という地名でしたし、さらにその昔は英多と呼ばれていました。 時代と共に変化する地名は珍しくありませんし、三ケ日もそのひとつと言うことで ここまでは理解して頂けましたでしょうか。 では今定着している名称はどうやって生まれたのか、ここにスポットを当てて 歴史の授業で教わった内容を想像しながら解説を進めていきます。 ここには昔々漁が大好きな長者、安形刑部左衛門という人物がおりました。 漁が好きといっても釣竿を垂らしたり網を投げて捕らえるのではなく、池の中に ある水を干してしまう方法での漁を得意技としていました。 水がなくなれば魚を容易く捕らえることができる、取り逃がすこともないし根こそぎ 捕獲できるので沢山の漁獲量を得る技としては一目置かれる方法です。 人手はかかりますがリターンも期待できる、そんな漁を好んでいたのです。
そんな安形刑部左衛門はある日川崎神明社の西にある池をかえ干ししようとします。 とても大きな池でピチピチの魚もいっぱいいるるだろうと大勢の村人を雇い、 何匹捕獲できるかなとニコニコ顔で池の中の水をかき出させました。 しかし三日三晩作業を続けてもまるで水面は下がらず、ゴールは一歩も近づいて きてないような錯覚を覚えます。 これだけやっても池はそのままの水量を保ち、魚を捕まえられるようになるどころか 生命を得たかのように澄んだ水が溢れ出てくる、そんな不思議な感覚を覚えたそうです。 ただの池なら三日も汲み出せばとっくに底が見えてくるはずなのに、いっこうに 減っている様子は見られない、人知を越えた超常現象が起こってるんじゃないかと 村人の間でも噂が流れたかもしれません。 そばに神社があるしその影響で何か特別な力が働き、この漁が成功しない原因と なっているのではと推理する人も出てきたでしょう。
「こんなに大きな池だからお魚の楽園だろう、大漁間違いなし」と皮算用していた 安形刑部左衛門ですが、さすがに雲行きが怪しいと思いました。 残念だけどこの努力は実らぬかもしれない、三日間で進展が全くないようではこの まま続けても無駄になるかも、そう考えて作業を中止します。 浜松市には他にも池はまだありますし、この大物に拘ってお金と時間を浪費するより 次の獲物を探した方が得策だと判断したのでしょう。 長者といえどいつまでも村人を雇って作業させるわけにはいきません。 それで得られる物があればともかく、漁が不発になりそうで全く見返りがないかも しれないのでこの気持ちの切り替えは正解です。 この出来事があってから彼の事を中之郷の三日池長者と呼ぶようになり、このあだ名 は他の村にも広まってちょっとした有名人になったそうです。 人物を指す「中之郷の三日池長者」が長い月日の中で地名を指す言葉になり、 いつしか三ケ日として定着した、これがこの町名の由来です。